工場が無くなり・・・
元松下電器産業茨木工場。全ての建物が取り壊され、更地になっています。以前、周辺に住んでいた者にとっては、少し寂しい気がする。
名神高速道路茨木インターチェンジに近い、この場所は地名も、茨木市松下町。昭和28年に茨木市からの企業誘致を受けて、ここにテレビ工場が開設されました。昭和33年にはカラーテレビの生産が開始され、やがては松下のカラーテレビ生産の主力工場として位置づけられました。
私が中高生くらいの頃、今から30数年前頃には、海外からの要人が大阪国際空港(伊丹)に到着し、京都に向かう途中には、この工場を訪れるいうのが定番のコースとなった時期があり、ダイアナ元英国皇太子妃や中国の鄧小平氏などが訪れています。
その後もプラズマテレビの製造工場として機能してきましたが、一昨年で生産も終了、撤退。約12万平米の土地の半分は、ヤマト運輸の配送拠点として活用され、残りは住宅地として分譲され話もあるらしい。 京都から大阪、神戸に向かう171号線を走ってみると、今まで見知った工場が次々と縮小、撤退していることに気が付く。その跡地は、ほとんどがマンションや住宅地だ。この近隣では、やはり東芝が2008年に茨木市太田東芝町の工場を閉鎖し、住宅地開発が計画されている。
ずいぶん前に大阪市のある担当者が、「工場が無くなって、環境が良くなったという人がいるが、大阪市内は御堂筋ですらオフィス用ビルがマンションに転換し、工場もマンションになり、住居は多いが、働く場所が無くなっていっていることに危機感を持たないのだろうか。工場がマンションに転換すれば、地方自治体に入る固定資産税は大幅に落ち込むことも、あまり知られていない。」と言っていたのを思い出す。
東大阪市は、旧松下冷機の撤退を契機に、布施・高井田地区への工場誘致条例を策定した。豊中市は、伊丹空港騒音緩衝地帯に工場誘致を進めようとしている。ある市の市民へのアンケートを見ると、若い世代ほど地元の雇用創出を求めていることが判った。地域活性化の基本は、雇用の創出、そして税収を意識することが重要になってきています。